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2015年05月29日

地震後のランタン谷を歩く

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。


カンジン村での宿泊を予定していたが、
配給物資の荷揚げで村人が帰ってこないため、更に登ったところにあるスルカ村へ行くことにした。

扇状に段々畑が広がり、見晴らしの良い素敵な村だ。
村の建物はすべて半壊または全壊となってしまっていたが、私達の訪問を快く受け入れてくれた。

彼らが避難するカマボコ状のテントのすぐ脇に私達もテントを張り、一日を締めくくる。


太陽が沈み暗闇がやってくると、震災直後からろうそくで明かりを灯すようになった。
以前は電気があったのだが、家の崩壊ととともに、なくなってしまった。
彼らの寝床には枯れ草がが敷き詰められているので、火の管理にはとても気にしていた。

私達がカトマンズで手に入れた太陽光発電ライトを取り出し、テントの上部にくくりつけた。
料理する女性のところがはっきりと見えるようになり、食事作りが楽になったようだ。
向きを変えたり、持ち運びができるので、テント生活の中で必要なところに灯りを灯すことができる。

笑顔が戻った。



翌朝、子どもたちの笑い声で目が覚め、テントの外に出てみた。
新鮮に感じる空気を吸い込み、体の中から覚めていく。

地震後のランタン谷を歩く

西の方角に目を移すと、ガネーシュヒマール、チベットのヒマラヤが望め、
気持ちを高ぶる。

地震後のランタン谷を歩く


夜露を払いテントを撤収し、次の村シェルパガウンへ
この村で使ってもらえるよう、太陽光発電ライトを寄贈
携帯電話の充電できるよう、使い方を教えた

地震後のランタン谷を歩く


村人と仲良くなったのだが、9時過ぎ彼らのテントをあとにした。

対岸に見えるタマン族の大きな集落、トゥロシャブルー。
緩やかな尾根にそって作られた村だ。
大学の時、初めてランタン谷を歩いた時、この村を通った。
どうして、尾根上に村ができるのか、当時とても不思議に思ったのを思い出した。

今回の地震で村の家は、ドミノ状に倒壊していた。

地震後のランタン谷を歩く

ひっきりなしに、やってくる救援ヘリ。この村への着陸が目立つ。
怪我や病気の人が多いのだろうか? それともこの村への道が寸断され、ヘリでの救援を必要としているのだろうか?

遠くに、ランタン川のたもとにある村、バンブーが見えてきた。
この村を挟むように、幾つものがけ崩れが。

地震後のランタン谷を歩く

川筋に延びているトレッキング道を寸断しているのも分かる。

20軒ほどの集落があるシェルパガウンが見えてきた。
被害の程度が少ないことを祈りながら、足早に向かった。


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Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 10:02│Comments(0)ネパール大地震
 
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