2015年09月01日
ひたすら飢えを凌いでヒマラヤで生きる友人
ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。
ネパール地震で多くの人々に衝撃を与えたランタン村の悲劇。
NHKも特集を組むほど大きな雪崩、土砂崩れ事故があったこの場所に、一人の日本人が支援滞在をしていた。

残されたヤクを守るために村に戻ってきた女性
彼の名は溝口。私の友人である。
技術そして体力、強運を持つクライマー
ランタン渓谷に聳える個性豊かな難易度高い山々を村の友人と一緒に何度も登っている強者だ。
そして、画家である。
私が大学の卒業論文を書くためにランタン地域に初めて入った23年前。
彼もほぼ同じ頃からこの地を訪れ、長年にわたりランタン渓谷をこよなく愛してきた。

爆風で屋根が飛ばされたロッジを修復して仮住まいできるように
ランタン渓谷が可憐なお花畑に埋め尽くされ最も美しくなる夏
私はツーリストを引率して高山植物の女王と呼ばれるブルーポピーを求めてやってくると、彼はいつもロッジのダイニングで筆ペンを握り、お花には目もくれず、ひたすら絵を描いている。
ランタン渓谷で描き続けてきた作品を東京の画廊で発表することに。
2015年4月24日、私は彼の作品を見に東京を訪れた。
筆ペンで描かれた細密画の作品の中に、メッセージとも受け取れるようにも思えてしまうランタン村に関係する人や神々しい山がどの作品にもジ描かれている。
その翌日、大きな地震がネパールを襲った・・・・
地震直後、ランタン村からカトマンズを経由して日本に入ってくる情報を東京と滋賀で連絡を取り合い、可能な限り情報を関係機関等に伝え、求めた。
FBを通じていろんな情報を掲載し続けた。そして私が先に、そして彼が続いてネパールに。

無常に輝くヒマラヤの峰々
行く手を阻むいくつもの巨大ながけ崩れ。
ランタン村付近で放牧されていたヤクを見捨てることができない村人たちと一緒に、彼は詰める限りの食料とともにヘリを使って現地に入った。
それから42日間、何もない過酷な環境下で、飢えに耐えながら生きていた。

持ち込んだ酒とタバコ・・・一瞬で無くなったしまった。
彼の当初の計画では・・・
10月中旬までカトマンズに戻るつもりはなかった。
ただ、想定以上の村人がこの渓谷に入ることになり、食料が見る見るうちに底をつき、この時期に生えるキノコを求め、時には亡くなったヤクの肉を洗って干し、彼らが作る粗末な食事で、ひたすら飢えを凌いできたそうだ。
天気次第で飛べる支援のヘリ。
3週間にわたり悪天候となったため、持ち込んだ食料と備蓄の食料がすべて消えてしまった。
村人を救うために、いったんカトマンズに下りてきた。
そして今、明後日から再びランタン渓谷へ向かうとのこと。
彼らの食料や唯一楽しめる、酒とタバコをしこたま買い込んでパッキングをしていた。
次回は・・・気になる被災状況について
※ 写真は溝口氏の許可を得て使用
ネパール地震で多くの人々に衝撃を与えたランタン村の悲劇。
NHKも特集を組むほど大きな雪崩、土砂崩れ事故があったこの場所に、一人の日本人が支援滞在をしていた。

残されたヤクを守るために村に戻ってきた女性
彼の名は溝口。私の友人である。
技術そして体力、強運を持つクライマー
ランタン渓谷に聳える個性豊かな難易度高い山々を村の友人と一緒に何度も登っている強者だ。
そして、画家である。
私が大学の卒業論文を書くためにランタン地域に初めて入った23年前。
彼もほぼ同じ頃からこの地を訪れ、長年にわたりランタン渓谷をこよなく愛してきた。

爆風で屋根が飛ばされたロッジを修復して仮住まいできるように
ランタン渓谷が可憐なお花畑に埋め尽くされ最も美しくなる夏
私はツーリストを引率して高山植物の女王と呼ばれるブルーポピーを求めてやってくると、彼はいつもロッジのダイニングで筆ペンを握り、お花には目もくれず、ひたすら絵を描いている。
ランタン渓谷で描き続けてきた作品を東京の画廊で発表することに。
2015年4月24日、私は彼の作品を見に東京を訪れた。
筆ペンで描かれた細密画の作品の中に、メッセージとも受け取れるようにも思えてしまうランタン村に関係する人や神々しい山がどの作品にもジ描かれている。
その翌日、大きな地震がネパールを襲った・・・・
地震直後、ランタン村からカトマンズを経由して日本に入ってくる情報を東京と滋賀で連絡を取り合い、可能な限り情報を関係機関等に伝え、求めた。
FBを通じていろんな情報を掲載し続けた。そして私が先に、そして彼が続いてネパールに。

無常に輝くヒマラヤの峰々
行く手を阻むいくつもの巨大ながけ崩れ。
ランタン村付近で放牧されていたヤクを見捨てることができない村人たちと一緒に、彼は詰める限りの食料とともにヘリを使って現地に入った。
それから42日間、何もない過酷な環境下で、飢えに耐えながら生きていた。

持ち込んだ酒とタバコ・・・一瞬で無くなったしまった。
彼の当初の計画では・・・
10月中旬までカトマンズに戻るつもりはなかった。
ただ、想定以上の村人がこの渓谷に入ることになり、食料が見る見るうちに底をつき、この時期に生えるキノコを求め、時には亡くなったヤクの肉を洗って干し、彼らが作る粗末な食事で、ひたすら飢えを凌いできたそうだ。
天気次第で飛べる支援のヘリ。
3週間にわたり悪天候となったため、持ち込んだ食料と備蓄の食料がすべて消えてしまった。
村人を救うために、いったんカトマンズに下りてきた。
そして今、明後日から再びランタン渓谷へ向かうとのこと。
彼らの食料や唯一楽しめる、酒とタバコをしこたま買い込んでパッキングをしていた。
次回は・・・気になる被災状況について
※ 写真は溝口氏の許可を得て使用
ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 こちら
ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告 こちら
Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 03:51│Comments(0)
│ネパール大地震
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