2015年12月13日
ヒマラヤ取材の裏話 ②
ヒマラヤガイドの浅原です。
先日まで行っていたネパール地震のテレビ取材。
取材の裏側をカメラマンがしっかりとデジカメで撮影してくれていました。
たぶんではテレビ放映の中では紹介されることはないと思うので・・・
支障のない範囲でご紹介したいと思います。
震源地バルバック村(ゴルカ郡:標高2000m)に向かう際・・・

荷物をすべて運んでくれるトラクターが出現
当初、カトマンズから車で9時間の距離にあるバルワ村(標高800m)を目指し、そこから歩き出して急坂を1200m(約6時間)登ったところに広がるグルン族が暮らすバルパック村に入る予定だったんです。
バルワ村に到着した際、私たちが乗ってきた車以外、車らしきものはありませんでした。
前回のように村人が来てくれて、荷物を担ぎ延々と山道を登ると思っていました。
しかし、同行してくれた副知事の計らいで、どこからかトラクターを呼び寄せ、私たちを乗せてくれることになりました。
日本から持ち込んだ取材機材、また子供たちへのプレゼントをけん引する荷台に乗せ出発!
「私たちは本当にラッキー」と思ったんです。。
トラクターがけん引する荷台ではなく、トラクターの運転手の横の席に座って行ける!とのこと。
嬉しくて心で叫んでしまったんです。
他のスタッフ等はけん引される荷台に揺られ、砂ぼこりにまみれながら目的地を目指したんです。
走り出して5分もするうちに、トラクターに乗ったことを後悔することに。

この写真では見えにくいけど、あざだらけに・・・
バルワ村も大きな被害を受け、周辺の村で被災した人たちがこの村に集まり、人口が増えていた。

あちこちに地震の爪痕が・・・

8月に訪れた際、このがけ崩れを抜けるのに一苦労した
サスペンションが良くないインド製のトラクターに大きく揺られ、運転席後ろの鉄製の柱にボッコン、ボッコン。
頭や腰や背中などを打ち、あざだらけ。
トラクターから降りて歩こうとすると・・・トラクターが巻き上げる砂ぼこりで真っ白。

マナスル山群の東のはずれにあるブッダヒマール

倒壊した学校の前で・・・子供たちの教科書などが散乱していた
延々3時間揺られ、体中が痛くなりながらバルパック村に。
村に着くと同時に、私たちが来るのを待っていた人たちが集まり、代わりに荷物を運んでくれることに。

副知事さんが運ぶ荷物はやっぱり軽い物ばかり・・・(笑)

19時過ぎ到着、12時間以上かかった。
指定された宿泊地に向かい、荷物を下すとすぐに夕食に。
取材の打ち合わせをしながら、ゆっくりと食事をとりました。
12月ということで寒さを気にするカメラマン。
しかし寝袋に包まるほど寒いことは無く、薄着で就寝に。
私は背中や腰が痛くて、うつ伏せの状態で横になりました。
ヒマラヤトレッキング・登山専門店 サパナ
先日まで行っていたネパール地震のテレビ取材。
取材の裏側をカメラマンがしっかりとデジカメで撮影してくれていました。
たぶんではテレビ放映の中では紹介されることはないと思うので・・・
支障のない範囲でご紹介したいと思います。
震源地バルバック村(ゴルカ郡:標高2000m)に向かう際・・・
荷物をすべて運んでくれるトラクターが出現
当初、カトマンズから車で9時間の距離にあるバルワ村(標高800m)を目指し、そこから歩き出して急坂を1200m(約6時間)登ったところに広がるグルン族が暮らすバルパック村に入る予定だったんです。
バルワ村に到着した際、私たちが乗ってきた車以外、車らしきものはありませんでした。
前回のように村人が来てくれて、荷物を担ぎ延々と山道を登ると思っていました。
しかし、同行してくれた副知事の計らいで、どこからかトラクターを呼び寄せ、私たちを乗せてくれることになりました。
日本から持ち込んだ取材機材、また子供たちへのプレゼントをけん引する荷台に乗せ出発!
「私たちは本当にラッキー」と思ったんです。。
トラクターがけん引する荷台ではなく、トラクターの運転手の横の席に座って行ける!とのこと。
嬉しくて心で叫んでしまったんです。
他のスタッフ等はけん引される荷台に揺られ、砂ぼこりにまみれながら目的地を目指したんです。
走り出して5分もするうちに、トラクターに乗ったことを後悔することに。
この写真では見えにくいけど、あざだらけに・・・
バルワ村も大きな被害を受け、周辺の村で被災した人たちがこの村に集まり、人口が増えていた。
あちこちに地震の爪痕が・・・
8月に訪れた際、このがけ崩れを抜けるのに一苦労した
サスペンションが良くないインド製のトラクターに大きく揺られ、運転席後ろの鉄製の柱にボッコン、ボッコン。
頭や腰や背中などを打ち、あざだらけ。
トラクターから降りて歩こうとすると・・・トラクターが巻き上げる砂ぼこりで真っ白。
マナスル山群の東のはずれにあるブッダヒマール
倒壊した学校の前で・・・子供たちの教科書などが散乱していた
延々3時間揺られ、体中が痛くなりながらバルパック村に。
村に着くと同時に、私たちが来るのを待っていた人たちが集まり、代わりに荷物を運んでくれることに。
副知事さんが運ぶ荷物はやっぱり軽い物ばかり・・・(笑)
19時過ぎ到着、12時間以上かかった。
指定された宿泊地に向かい、荷物を下すとすぐに夕食に。
取材の打ち合わせをしながら、ゆっくりと食事をとりました。
12月ということで寒さを気にするカメラマン。
しかし寝袋に包まるほど寒いことは無く、薄着で就寝に。
私は背中や腰が痛くて、うつ伏せの状態で横になりました。
ヒマラヤトレッキング・登山専門店 サパナ
Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 17:32│Comments(0)
│ネパール大地震