2014年05月02日
ぶらり、近江商人の街を歩いてきました
ヒマラヤガイドの浅原です。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の言葉で知られる、近江商人の街、滋賀県日野町へ出かけて来ました。
近江商人の街と言っても、彦根や近江八幡というイメージがありますが、ここ日野町からも近江商人が沢山活躍。
この街に残る山中兵右衛門の旧邸をはじめ、近江商人が築いた当時の街並みも散策してきました。
※ 旧山中正吉邸
近江商人として富を築いた山中氏。
700坪と言われる屋敷の一部が特別に公開されていました。
※ 厚みある銅で作られたトユ
このお屋敷は、今から10年前までは実際に使われていたとのことです。
家主は大切に使っていたので、保存状態が最高!
左から順番に部屋の中を見学することができるのですが、
入って早々、洋室があるんです!
NHK連続小説に出てくるような部屋なんです。
和風の屋敷の中に、それも玄関のすぐ横に洋室があるんです。
天井も3m程あるように思います。
調度品は当時のままに置かれているとのこと。
※ 大理石で作られたお風呂
昭和初期に、大理石で作られたお風呂を使っていたそうです。
また、横の壁にはシャワーも取り付けられ、誰よりも早く時代の先取りをしていたのが分かります。
ステンドグラスになっている窓からも、当時の力が伺えます。
お屋敷で働く人も多かったのでしょう。
6個のかまど(おくど)が並んでいました。
薪をくめる鉄製の扉のデザインにもこだわり、そして煙が後ろの壁の裏を伝って外に出るような仕組みになっているんです。
※ 薪をくめる扉のデザイン
こんなに成功を収めた近江商人の家に飾ってあった言葉
「厳倹約」 あ~痛い 耳をふさぎたくなる言葉でした。
ここに、近江商人の成功のポイントがあったのでは!?
「近江商人」のことをもっと紹介したいですが・・・
是非、日野町に足を運んで、観て頂けたらと思います。
そうそう、こんなものがありました。
※ 二宮金次郎が書いた領収書 小判10両を頂くと記載
近江商人は商売で稼いだお金の一部を、人々のために配っていたことを知る貴重な資料です。
参考 日野町観光協会
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の言葉で知られる、近江商人の街、滋賀県日野町へ出かけて来ました。
近江商人の街と言っても、彦根や近江八幡というイメージがありますが、ここ日野町からも近江商人が沢山活躍。
この街に残る山中兵右衛門の旧邸をはじめ、近江商人が築いた当時の街並みも散策してきました。
※ 旧山中正吉邸
近江商人として富を築いた山中氏。
700坪と言われる屋敷の一部が特別に公開されていました。
※ 厚みある銅で作られたトユ
このお屋敷は、今から10年前までは実際に使われていたとのことです。
家主は大切に使っていたので、保存状態が最高!
左から順番に部屋の中を見学することができるのですが、
入って早々、洋室があるんです!
NHK連続小説に出てくるような部屋なんです。
和風の屋敷の中に、それも玄関のすぐ横に洋室があるんです。
天井も3m程あるように思います。
調度品は当時のままに置かれているとのこと。
※ 大理石で作られたお風呂
昭和初期に、大理石で作られたお風呂を使っていたそうです。
また、横の壁にはシャワーも取り付けられ、誰よりも早く時代の先取りをしていたのが分かります。
ステンドグラスになっている窓からも、当時の力が伺えます。
お屋敷で働く人も多かったのでしょう。
6個のかまど(おくど)が並んでいました。
薪をくめる鉄製の扉のデザインにもこだわり、そして煙が後ろの壁の裏を伝って外に出るような仕組みになっているんです。
※ 薪をくめる扉のデザイン
こんなに成功を収めた近江商人の家に飾ってあった言葉
「厳倹約」 あ~痛い 耳をふさぎたくなる言葉でした。
ここに、近江商人の成功のポイントがあったのでは!?
「近江商人」のことをもっと紹介したいですが・・・
是非、日野町に足を運んで、観て頂けたらと思います。
そうそう、こんなものがありました。
※ 二宮金次郎が書いた領収書 小判10両を頂くと記載
近江商人は商売で稼いだお金の一部を、人々のために配っていたことを知る貴重な資料です。
参考 日野町観光協会
Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 23:13│Comments(0)
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