ナチュログ管理画面 トレッキング・登山 トレッキング・登山 海外 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報

スポンサーリンク



上記のお知らせは30日以上更新のないブログに表示しています。
記事を更新するとこのお知らせは表示されなくなります
  

Posted by naturum at

2015年09月26日

琵琶湖へ流れ込む一滴を求めてトレッキング

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です      

琵琶湖を山頂から美しく望むことができる蓬莱山があるスキー場を起点にした、トレッキングに出かけてきました。

関西の水瓶と言われる琵琶湖。この水がどこから来ているのだろうか?
今回は琵琶湖に流れ出す、最初の1滴を求めて・・・ゲストを連れてトレッキングしてきました。

朝から山頂付近に雲がかかる天候で、山頂付近の気温は15度(9:30現在)したが・・・
ゴンドラに乗って一気に頂上付近に来ると、西側は晴れていて、琵琶湖のある東の空だけが雲という状態。


比良岳を望む
10時過ぎ、足元を念入りに準備体操を行って、ゲレンデを下る


みんなで栗拾いを楽しむ

ゴンドラが動き始めたばかり。
観光客がまだ少ない中の出発でした。
あらかじめ当施設の許可を得ていたので、自由に施設内を歩く
 

天候が急回復 木陰の中を歩くが、汗ばむ

この地に生育する広葉樹(ブナ、クヌギ等)の森に降った雨は・・・
いっきに川に流れることなく、広葉樹林が作る天然なダムから徐々に染み出し、川になる


老木にはどの木にもキノコが・・・・食べられるのかなぁ~


川の流れが小さくなり、水の流れる音が耳に心地よい

更に沢を上り詰めていくと・・・




石の下から水が湧き出している源流へ到着

水が流れない沢を離れ、稜線を目指す。
疎林となった草地を登り・・・11:30 登頂
遠くに琵琶湖も望める展望地で昼食タイム



滑りやすい草地を安全に降りれるように、ロープを固定し、ゆっくりと下山。



いつしか天気は回復し、すがすがしい風吹くゲレンデを歩いて、山頂駅に到着


14:30から特設舞台ににて、ヒマラヤの魅力を伝えるトークショー


人前で話すのが苦手のため・・・緊張しっぱなし。

ヒマラヤという言葉がイメージする寒さや厳しさ・・・
実は・・・沖縄と同じ緯度で暖かい場所。
そんなことを紹介しながら、ヒマラヤトレッキングの魅力をたくさん話をさせていただきました。




◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔でヒマラヤを歩き通すことができますよ!

おすすめのプラン・・・ エベレスト   ヒマラヤ6000m登山



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら





  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 23:15Comments(0)お勧め情報近郊トレッキング

2015年09月23日

間もなく ヒマラヤに出発!

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です      

今月末に出発するツアーのために、シルバーウィークを使ってトレッキングの準備を進めてきました。

ヒマラヤの高地でも参加者がしっかりと歩くことができるよう、食べ慣れた食事を提供するために日本食の買い出し。
購入した商品がネパールまで安心して届くよう、ハードケースの青い樽に入れて、一足先に関西空港へ。

ホテルでの手続き、トレッキング許可書の手続き等、ネパール関係所轄で使用できる参加者データーの作成、トレッキング中使用する寝袋の名前のタグ作りなど、スタッフがキビキビと仕事ができるように事務的な仕事をしました。


毎日配る寝袋が間違うことなくゲストに届けるためのタグ

スタッフの仕事が早いと、結果ゲストへの対応が手厚くなり、快適なトレッキングに繋がるんです。

ヒマラヤという環境、また日本人の気質と大きく異なるネパールだからこそ、いろんなことを想定してしっかりと準備をすることが、トレッキングを成功に収めるポイントだと思います。

地震後初のトレッキングシーズンを迎え、現地の受け入れ態勢(ロッジの営業等)が不十分の中、参加してくれるゲストのために、安全にそして快適にヒマラヤの旅ができるよう、最後まで準備に力を入れたいと思います。


すでに、現地では私たちの到着を楽しみ待っている旨の連絡を受けています。
青い空が高く感じられる秋のヒマラヤを歩けることを楽しみに・・・
スタッフと一丸になってこのヒマラヤの旅も成功させたいと思います。


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔でヒマラヤを歩き通すことができますよ!

おすすめのプラン・・・ エベレスト   ヒマラヤ6000m登山



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら





  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 19:58Comments(0)サパナのこだわりヒマラヤトレッキングへの思い

2015年09月23日

ヒマラヤ 初めてクレヨンを握り描く私の故郷

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です

着の身着のままこの地に強制移住させられた山岳民族の方に日本から持ってきた衣類を・・・・
プロゴルファーの奥村竜也氏の呼び掛け(9月8日)で集まった衣類、段ボール箱にして20箱以上。
ほんの一部しか、今回運ぶことができなかったが、ここで避難している子供や女性、老人に対してボランティアスタッフの協力を得ながら一着ずつ手渡しをした。


普段、標高の高いところで暮らしていたので、夏用の薄手の服を欲しがっていた。


奪い合うことなく、最後の一着まで順番に渡すことができた。

一度に800人を超える方に衣類を手渡すことができないため、次回の支援にもこの地に大量の衣類を運び、少しでも生活環境を改善したい。
この地での支援に際して、事前にカトマンズにてCDO(chief of district officer)の許可を取り、併せて支援物資の配給に関する許可も取らなければならなかった。

文房具大手メーカーであるペンテル様の協力で、幼児~中学校の生徒さんにクレヨンを配ることができた。
今までクレヨンというものを知らない子供達ばかりである。箱を開けた瞬間、いろんな色のクレヨンを見て唇のところに運ぶ子もいた。


画家の鈴木氏から良質の画材を受けた

茨城県の日本画家であるスズキ氏の好意で、たくさんの紙(画用紙含む)を支援してもらい、クレヨンを使って絵を描くことを教えてあげた。

翌日、避難キャンプの中の様子を伺おうと・・・
朝ご飯を用意している時間に歩いてみた。


湿気がこもる中でも絵描きに夢中になる子供


姉妹でヒマラヤに咲くお花を描いていた


鈴木氏の支援で頂いた水彩画 自分たちで絵の具を出したようだ・・・

電気の無い暗いトタン小屋の中で子供たちが寝そべって遊んでいた。
狭い入り口に顔を突っ込んで中の様子を見ると・・・クレヨンで絵を描いていたのである。


子供たちが何人も見に来て、絵を描くことを興味を出す。

周りのテントで暮らす子供たちも集まりだし、外に出て来てお絵かき大会が始まった。
いろんな色を見て喜ぶ子供。クレヨンを並び替えて遊ぶ子供。
中学生くらいの女の子がお花の絵を描いていく様子を見て、一緒に描こうとする子供達。


テントの中を飛び出して、お絵かき大会が始まった


幼児も飛び入り参加して、いろんな絵を描き始めた

子供たちの顔に笑顔が。いろんな色を使ってお家やヒマラヤ、川や畑・・・
彼らが暮らしていた村の絵を描いてくれていたのだ。

親御さんも子供の手が離れ、自分たちの仕事ができるようになり、夢中で絵を描く子供たちを見て、喜んでいた。
震災によって学校に行くことができなくなってしまった子供たちのためにも・・・、文房具支援を続けていきたい。



※ 支援活動に興味ある方やすでにされている支援で悩んでいる方へ
  互いに情報交換できるようにしたいと思っています。
  よろしければ、ご連絡を。 info@sapanatrek.com まで。



続きを読む・・・      前の記事・・・


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔でヒマラヤを歩き通すことができますよ!

おすすめのプラン・・・ エベレスト   ヒマラヤ6000m登山



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら





  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 10:17Comments(0)ネパール大地震

2015年09月22日

ヒマラヤの麓で編み物 自立支援のサポート

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です

日本人の女性(大阪)と一緒にサパナが支援をしている被災キャンプ地がカトマンズから3時間ほどの距離にある。
このキャンプ地にカトマンズから日本人10名(浅原含む)、ネパールスタッフ3名と一緒に向かった。


178世帯、800人を超える避難民が暮らす

4月25日の大地震によって、村があった場所は地割れが各所で起き、地面ごと崩壊してしまったため、政府による強制移住の対象となり、村人全員がこの地に移ってきた。

慣れない環境下の中で彼らは5か月間、民間からの支援だけで暮らしている。
この村の人たちに土地を提供するように言われた住民とのいざこざもあり、安住の地を求める彼らにとっては未だ、安心して住める場所がないことが気になる。

被災した山岳地域の村すべてに共通しているのだが、力仕事ができる男性がほとんど居ない。
その理由は、崩壊した村へ戻り、崩れた家の中から家財道具を取りに出かけている場合、そしてもうひとつ。出稼ぎとして海外に出かけてしまっていることだ。


水汲み、薪拾いなどすべて女性が行う

村の復興に際して、力作業ができる男性の存在は大きい。今回支援に行った避難キャンプでも女性の力によって支えられているのが現状だ。

とはいっても、まだ乳飲み子がいるような家庭では力仕事などできない。
家を守り、食事作りしかできないのが実情である。
こうした中でも自立していくための仕事が出きればと思い、友人の助けを借りて、この地で編み物を教えることに。


キャンプ地で暮らす8割以上の者が編み物をすることができる


20代前半の女性が多い。子供をあやしながらの編み物教室

ボランティアとして来てくれた方の中で編み物ができる人がいたため、お願いして、村のおばちゃんたちにワンツーマンで教えることに。

当初、避難キャンプの中心人物を通じて女性たちを呼びかけようと思ったが、私たちの中で、数人のおばちゃんをリーダーとして育て、その人から他の女性に教えていくことにした。
限られた時間の中で結果を出すためにはこの方がいいと思ったからである。


噂を聞きつけ、若いお母さんが何人もやってきた

ここで編まれる品を日本でフェアトレード商品として販売し、村の女性に現金収入を得られる環境を作り、早期の復興に繋げる
できることなら、オリジナル商品として価値を高めながら村の特産品となれば・・・


子供たちをあやしているので・・・頑張ってお母さん達

基本的な編み方を知っているので、覚えるのが早い。
だけど、アバウトな編み方をしてしまう方も多いので、編み方の表を作りながらしっかり教えることに。
出来上がったものを表を見ながらチェックすると・・・
やっぱり間違っている。

ネパール人が言う『OK』と日本人の『OK』が大きく違うことを教えるのに大変。


手先の器用な女性がいると・・・教えるのがワクワクする

10月中旬に始まるダサインというお祭りに合わせて、教えた編み物ができているか?
友人が足を運んでチェックしてくれる。
ここでOKが出たら、村の女性たちに仕事を与えることができ、彼女らにも笑顔が戻るだろう。
少しでも彼女らの助けになれば幸いである。

現地の実情を知り、そこに合わせて支援がこの国を自立させる近道ではないかと思う。

※ 支援活動に興味ある方やすでにされている支援で悩んでいる方へ
  互いに情報交換できるようにしたいと思っています。
  よろしければ、ご連絡を。 info@sapanatrek.com まで。



続きを読む・・・      前の記事・・・


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔でヒマラヤを歩き通すことができますよ!

おすすめのプラン・・・ エベレスト   ヒマラヤ6000m登山



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら





  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 19:16Comments(0)ネパール大地震

2015年09月21日

ヒマラヤの空にいくつものシュプールを描く

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です

山岳地域で暮らす子供たちが通う学校で折り紙を使って、楽しい授業を行った。
初めて見る折り紙。カラフルな原色を求める子が多い。



両端をしっかりと合わせて折るのが難しい!

生徒誰もが簡単に折れて、楽しく遊べて・・・
折り紙に興味を持ってもらえたら・・・
広い校庭を使って遊べるよう飛行機を折ることに決定!


何だ何だ? 村人が覗きに!


飛行機が折れたぞ!

出来上がった飛行機をみんなで見せ合いっこ。
次は、飛行機に名前を書こう!


支援してもらった鉛筆で翼に名前を書く


できたぞ!

飛行機を大事そうに持って、校庭へ
一列に並んで飛行機を飛ばすルールを伝えた。
一番遠くに飛ばすことができた人に・・・



 ヒマラヤに向かって・・・飛んでけ~



50機の紙飛行機がヒマラヤの空にシュプールを描いた。


続きを読む・・・      前の記事・・・


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔でヒマラヤを歩き通すことができますよ!

おすすめのプラン・・・ エベレスト   ヒマラヤ6000m登山



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら


  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 22:37Comments(0)ネパール大地震

2015年09月20日

ゴミ拾いの習慣が無いネパール

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

バナナを食べたら皮はポイ!  おやつを食べたら袋はポイ!
ネパールに来た時に、誰もが気になる道端に散らかったゴミの多さ。
神々しいヒマラヤの麓の学校の周りも、ゴミがたくさん散らかっている。


学校から出たゴミというより、家庭のゴミばかりだ

ゴミが散乱している状態を改善し、いつも綺麗な学校で楽しく勉強できるよう、生徒全員でゴミ拾いをした。
校庭に落ちている煙草の吸殻・・・日本では絶対にありえないゴミがヒマラヤの学校でたくさん見かけた。


汚いという感覚があるので、多く拾う競争にさせて拾った

10人程度が一組になり、ゴミ箱を持って、地面に落ちているあらゆるゴミを拾う。
ゴミ拾いをしたことの無い彼らにとってはすごく変な感覚。
ゴミを捨てる習慣からゴミを拾うという習慣に変える試み。
将来、ネパールからゴミが落ちていない状態になれば・・・・
乳幼児が病気にかかり難い状態になって、多くの命が救われる。
また、国民一人一人の意識改革に繋がり、さらなる分野にもいい影響を与えるのではないだろうか・・・



子供達との触れ合う楽しい時間が終わり、車が待機する場所へ向かう途中、大きな吊り橋を渡った。
吊り橋のはるか下には、ボロボロな服を着た子供たちが川原を走り回り、彼らの親と思われる者が川の中に入って石取りをしていた。
それは・・・未だ強く残るカースト制度の世界だった。


砕いている際に目に石が何度も飛んできた

川原のすぐ横に建てられた小屋には、5~7人程度が暮らし、いくつもの小屋が点在している。
川から拾い上げられた石を小屋の前に運び、3㎝ほどの大きさに砕石する。
雨の日であろうが、日差しが強い日など関係ない。延々とひたすら砕き続けるのだ。


思った以上にハンマーは重く、思った以上に強く打たないと石は砕けない

どの小屋の前にも粉砕された石の山が出来上がっている。ある程度の量が溜まると業者に買い取られ、わずかな現金が彼らに入るのだ。
ここでは子供たちも立派な労働力。学校に通う前に2時間、そして帰宅してから2時間。

彼らの姿を見ているだけで・・・心が痛む。
生活を少しでも改善してあげたいと思う。しかし何もしてあげることができない。
ネパールの厳しい現実を目の当たりにした。
彼らもまた地震の被災者であることは言うまでもなかった。

続きを読む・・・      前の記事・・・


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行

75歳を超える方・女性の方でも最後まで笑顔で歩き通すことができます。



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら


  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 21:46Comments(0)ネパール大地震

2015年09月19日

ヒマラヤの麓で元気に学校に通う生徒たちとの交流

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

被災者支援団体の通訳とコーディネーターの仕事も行う形で、10日間の日程でネパールに行ってきた。前半は支援団体の通訳として、後半はサパナが実際に支援を行っている山岳民族場所を訪れ、テントを張りながら被災者に寄り添う形で活動を行った。

標高800m。太陽がギラギラと照り付け、南から湿った風が吹き込み、見る見るうちに厚い雲が出来上がると、突然地面を叩き付けるような大粒な雨が降ってくると思えば、再び太陽が顔を出す。
雨季の終焉を思わせる天気の中、私たちは韓国の支援者によって建てられ運営されている公立の小学校へ訪れ、現地の事情を聴きながら、子供達との交流を行った。



外国人ツーリストがまったく訪れないといっても過言でないネパール中部にあるダーディン地区。
ここでも大多数の山岳民族が被災した。
この地で暮らすタマン族、インド系の人々。赤土を接着剤のようにして石と石の間に塗り固めて作られた独特な家々。
本震の大きな揺れによって一瞬で壊れてしまった彼らの家の横には・・・トタンを蒲鉾状に張り合わせて作られた質素な家がいくつも並んでいた。


4月25日の本震で一瞬に倒壊してしまった家跡

子供たちは毎朝、元気に学校に通い、友達と一緒に勉強をしている。

ぬかるんで滑る山道を登ること小一時間。山の中腹に建てられたコンクリート製の立派な小学校に着いた。
高学年の生徒さんの歓迎を受けて、一旦職員室に。
校長先生をはじめ、諸先生方を通じて、この小学校に通う生徒さんの実情を詳しく教えてもらう。

このエリアには5つの公立小学校があり、どの小学校も韓国の支援を受けていかないと運営ができない状態。
支援が必要とする子供たちが半数以上いることを知り・・・・

私たちは3つのクラスに分かれ、教室ごとに日本の文化や遊びを伝える授業を2時間行った。

目を大きく開け、今から何が始まるのだろうか?と不安そうに眺める子供たち。
半時間も経つと、子供たちの心をしっかりと鷲づかみしていた。


男女分かれて座るネパールの学校

ジャンケンポン! 日本では当たり前のジャンケン。
狭い教室に40人を超える生徒が押し詰め状態の中で、グー・チョキ・パーの意味を伝え、遊び方を通訳。
意外にも子供たちはあっという間にルールを覚え、隣の生徒とやり始める子も。

男の子、女の子分かれてジャンケンを行い、最も強い生徒さんを選出し、黒板の前に出てきてもらう。
ここで、あっち向いてホイ!のルールを教え、クラス中がヒートアップ。

ジャンケン、そしてあっち向いてホイ と続けて勝利するのが難しい中、それを真剣なまなざしで見つめる子供たちの様子、掛け声・・・
私たちと子供達たちとの距離が一気に縮まった瞬間だった。

少し遅めの昼食を頂く。支援団体が用意してくれた食事を頂き、しばし休憩
午後のプログラムに移る。

子供たちの歯は神々しいヒマラヤの様に真っ白い。そんなイメージを持っていたが、歯ブラシを使うことを知らない子は虫歯でボロボロ。校庭に生徒さんを集め、みんなで歯磨きの練習。


家族も使えるよう大き目な歯磨き粉をプレゼント


前歯は縦磨き、奥歯は横磨き・・・

歯ブラシと歯磨き粉を支援し、湧き出した冷たい水できれいに歯ブラシ。
生徒の中には、歯磨き粉が入っている箱を開けずに持ち帰ろうとする子も。そんな生徒さんにはスタッフが用意した歯磨き粉をつけて、ゴシゴシ。
磨き終わった歯を見せあい、しっかりと磨きができていることを確認。

続きを読む・・・      前の記事・・・


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・
75歳を超える方でも笑顔で最後まで歩き通し、夢を叶えることができるよう

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら


ヒマラヤトレッキング・登山専門 サパナ
  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 15:42Comments(0)ネパール大地震

2015年09月19日

ネパール大地震 第4次支援活動より帰国

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

第4次ヒマラヤ支援を終え、微笑みの国タイを経由して帰国した。
カトマンズ出発直前に1時間の遅延という知らせに驚いていてたら・・・
ネパールで最も有名な俳優ラジェス・ハマール氏と再会することに。
これも神様が与えてくれたハプニングなのか?

以前、彼と会ったのはカトマンズの国内線の空港―ターミナル。彼は夫人を連れてポカラへ行く時だった。
東北大震災の時、彼も偶然来日中で、千葉で被災。地震が縁で何度か会うことに。

無理を承知で彼に一つお願いを。


ゲストに心のこもったメッセージを書いてくれた

今回の支援活動に参加した女性の誕生日が明日に控え、彼にその旨を伝えたら・・・
彼女へのメッセージと写真撮影をしてくれることに賛成!


ハッピーバースデーの歌を歌いながら・・登場!

搭乗が始まったアナウンスを受け、彼と一緒に女性のもとへ。
そして、ハッピーバースデー トゥー ユー・・・・を歌ってくれ、メッセージを手渡してくれた。
サプライズの演出に、周りの人もみなびっくり。 みんなの注目に。
どこでどんなハプニングが待っているかわからないネパールの旅。


まだ一度も見ることができなかった神々しいヒマラヤを期待しながら、カトマンズ空港を離陸。
すでに、厚い雲でヒマラヤの雄姿を見ることはできず、機内食を頂ながらタイに向かった。
一時間遅れの出発だったはずが、到着時は30分ほどに短縮。
経由地のバンコクにちょっぴり訪問することに決定。

入国手続きを済ませ、電車を使い一気に喧噪の街の中へ吸い込まれていく。
何度訪れても人々を魅了する素敵な街だ。
活動で疲れた体を指圧式なマッサージでほぐし、甘いフルーツの香りに誘われ、いろんな味を楽しんだ。

10日間というあっという間の支援活動の旅が終わった。

今回の支援活動を通じ、たくさんの山岳民族の人と出会い、いろいろな思い出を作ることができた。
震災後、5カ月が経ち、被災者の生活環境がずいぶん変わり、復興へ向かって着実に歩み始めているところがあった。と同時に、以前厳しい環境の中で暮らす被災者の姿もあった。


震災直後から毎日薪を拾うのが彼女の日課となっている


生まれて初めてクレヨンを持ち、絵を描いたとのこと


次回、9日後の9月28日、ヒマラヤの国ネパールに向かいます。
震災後初めてのトレッキングシーズンを迎え、被災の影響が少ないネパール中部に位置するアンナプルナ山域を1周するトレッキングに出かけます。
このトレッキングを皮切りに、12月中旬まで、支援活動を行いながら登山者の夢や思いをヒマラヤで実現する本来の仕事がスタートします。

山間部に入れば、まだ支援の行き届いていない地域を目の当たりにするでしょう。
多くのヒマラヤファンにこの地に足を運んでもらい、この国の支援をツーリスト事業という形で行うと同時に、今まで行ってきた太陽光発電式ライトの配布を含め被災した村のニーズに合わせた支援活動を続けていきたいと思っています。

続きを読む・・・

2015年のヒマラヤトレッキング、登山に関して・・・
サパナではエベレスト方面、アンナプルナ方面を中心に順次行っております。
当社専属の日本食コックが忙しくヒマラヤの中を歩き回り、震災によってロッジ営業ができないエリアで活躍しています。


◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・
75歳を超える方でも笑顔で最後まで歩き通し、夢を叶えることができるよう

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら


ヒマラヤトレッキング・登山専門 サパナ
  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 14:08Comments(0)ネパール大地震

2015年09月06日

今秋のトレッキングはキャンプ道具が必携!

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

まもなくやってくるトレッキングシーズンに向けて・・・・
例年以上にしっかりと準備を整えて楽しく安全にトレッキングを行って頂きたいと思います。

震災後、不安になって旅行者の姿が消えてしまったヒマラヤ。
でも、4か月が経ち現地の情報が少しずつ入ってくると・・・
一部の地域(ゴルカ、ランタン、ロールワリン)を除いて、トレッキングを行うことができます。

ただし、トレッキングを行える地域でも、ロッジが壊れている箇所もあるため、いつものような気軽な気持ちでトレッキングしようとすると、大変苦労することが予想されます。
そのため、事前にしっかりとした情報を集めてネパールに向かうことで、震災後のトレッキングのトラブルを軽減することができ、思い出深い山旅になるのではないでしょうか。


ロッジが使えないことを想定して、キャンプスタイルで歩くイギリスのグループのテント

チェックポイント:

1、ロッジの損壊がある村を調べ、どの程度のロッジが営業できているか確認
2、がけ崩れの心配とエスケープルートの確認
3、ロッジの込み合いが予想されるため、事前にキャンプ道具の準備も検討
4、山岳地域へのバスの終着地点の確認


上記の情報をしっかりと得て、対策を行うことで、安心で楽しいトレッキングになります。

(現状)

比較的被害の少なかったエベレストエリアへのトレッキング希望者が大幅に増えることが予想されています。
上部の村では、震災の影響で昨年よりも営業できるロッジが少ないために、登山者で場所の取り合いになることも。
楽しいトレッキングを実現するために、欧米人登山者はキャンプ道具を携帯した形でトレッキングに出発しています。






◆ サパナがお勧めするトレッキングでは・・・
75歳を超える方でも笑顔で最後まで歩き通し、夢を叶えることができるよう

1.日本食コックが同行しお腹に優しい食事の提供
2.歩く人に合わせた高山病対策を行う
3.ヒマラヤ特有のハプニングにも対応できるよう、日本人ガイドが同行



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら


ヒマラヤトレッキング・登山専門 サパナ
  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 21:13Comments(0)ツアー情報 ネパール大地震

2015年09月06日

第3次ヒマラヤ地震支援から帰国

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

2週間の支援活動【第3次支援】を終え、日本に戻ってきた。
出発した時のうだるような暑さはなくなり、むしろネパールの方が暑い! 
関西空港に降り立った時に一番最初にそう感じた。


他の支援活動の方のお手伝い 生活物資の購入

今までの支援の延長として訪れたネパールにもかわらず・・・
思うような結果が残せず、とても残念だった。


バスの発着地へ向けて荷物を積み込む


更に小さな車に積み替えて現地へ向かう

今回の地震を経て、今までまとまり感が無かったネパールの政党がまとまり、新憲法制定に向けて動き出した。
大変うれしいことなのだが、多民族国家であるネパールには私たちには理解し難いいろいろな問題があり、それが表面化して、各地でストライキが起き始めてしまったのだ。
現在もインド国境付近の地域を中心に無期限のストライキを行っているという。

せっかく休みをとって日本から駆けつけてくれたボランティアの方もストライキによって、活動が大幅に制限されてしまった。
特に、カトマンズ郊外で行う活動においては、行き帰りの移動を含めたことを考えて行わなければならない。
被災地に行っても、帰ってくることができなければ、意味が無いのだ。

現地役所で取得した許可書もストライキが頻発するため、支援に行くことができない。

これからまだまだネパールに来てくれるボランティアの方に、活動が支障なくできることを祈るばかりだ。


毎日清潔なタオルで体をふいてください!


パイプを使って、水運びの重労働を無くそう!


水くみ用の桶を渡してきました


ランタン渓谷の情報:

ランタン渓谷最奥の村キャンジンゴンパで、被災者支援に行っている友人、溝口氏をはじめ、いろいろな所から情報が入ってきている。
(カトマンズで避難しているランタン村の住民)より、今秋より道を整備するために、軍隊等が入るらしいとの情報があり、それに向けてランタン村の人が家の建築に必要な資材を上げるとの事。
ただし、ただ歩くだけの道はできるのかもしれないが崩壊した斜面の安全対策は全く無いと思われるので、このルートでの入山は控えてほしい。

ヘランブー地域からガンジャラパスを越えてやってきたネパール人がいたとの情報。
途中の道は歩くのに支障をきたす崩壊も無く、テント等の装備を持っていれば、十分ランタン渓谷に入れるとの事とのこと。

キャンジンゴンパに入っているランタン村の人々はほとんどが老人ばかり。
ヤクの世話や薪などを運ぶのにも苦労しており、溝口氏もほぼ毎日、朝から晩までお手伝いとのこと。
食事もご飯にダルスープ(マメ)だけで、野菜などの生鮮食品はないとのこと。

ただ、人々の心にはかつての村を蘇らせる思いが強くあり、目がとっても輝いているとのこと。

10月中旬には彼がカトマンズに戻ってくるので、その際には追加情報を載せたいと思っています。



ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧 追記  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら

  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 02:15Comments(0)ネパール大地震

2015年09月01日

ひたすら飢えを凌いでヒマラヤで生きる友人

ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。

ネパール地震で多くの人々に衝撃を与えたランタン村の悲劇。
NHKも特集を組むほど大きな雪崩、土砂崩れ事故があったこの場所に、一人の日本人が支援滞在をしていた。


残されたヤクを守るために村に戻ってきた女性

彼の名は溝口。私の友人である。
技術そして体力、強運を持つクライマー
ランタン渓谷に聳える個性豊かな難易度高い山々を村の友人と一緒に何度も登っている強者だ。
そして、画家である。

私が大学の卒業論文を書くためにランタン地域に初めて入った23年前。
彼もほぼ同じ頃からこの地を訪れ、長年にわたりランタン渓谷をこよなく愛してきた。


爆風で屋根が飛ばされたロッジを修復して仮住まいできるように

ランタン渓谷が可憐なお花畑に埋め尽くされ最も美しくなる夏
私はツーリストを引率して高山植物の女王と呼ばれるブルーポピーを求めてやってくると、彼はいつもロッジのダイニングで筆ペンを握り、お花には目もくれず、ひたすら絵を描いている。


ランタン渓谷で描き続けてきた作品を東京の画廊で発表することに。
2015年4月24日、私は彼の作品を見に東京を訪れた。
筆ペンで描かれた細密画の作品の中に、メッセージとも受け取れるようにも思えてしまうランタン村に関係する人や神々しい山がどの作品にもジ描かれている。

その翌日、大きな地震がネパールを襲った・・・・

地震直後、ランタン村からカトマンズを経由して日本に入ってくる情報を東京と滋賀で連絡を取り合い、可能な限り情報を関係機関等に伝え、求めた。
FBを通じていろんな情報を掲載し続けた。そして私が先に、そして彼が続いてネパールに。


無常に輝くヒマラヤの峰々

行く手を阻むいくつもの巨大ながけ崩れ。
ランタン村付近で放牧されていたヤクを見捨てることができない村人たちと一緒に、彼は詰める限りの食料とともにヘリを使って現地に入った。

それから42日間、何もない過酷な環境下で、飢えに耐えながら生きていた。


持ち込んだ酒とタバコ・・・一瞬で無くなったしまった。


彼の当初の計画では・・・
10月中旬までカトマンズに戻るつもりはなかった。
ただ、想定以上の村人がこの渓谷に入ることになり、食料が見る見るうちに底をつき、この時期に生えるキノコを求め、時には亡くなったヤクの肉を洗って干し、彼らが作る粗末な食事で、ひたすら飢えを凌いできたそうだ。

天気次第で飛べる支援のヘリ。
3週間にわたり悪天候となったため、持ち込んだ食料と備蓄の食料がすべて消えてしまった。
村人を救うために、いったんカトマンズに下りてきた。

そして今、明後日から再びランタン渓谷へ向かうとのこと。
彼らの食料や唯一楽しめる、酒とタバコをしこたま買い込んでパッキングをしていた。


次回は・・・気になる被災状況について


※ 写真は溝口氏の許可を得て使用


ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者一覧  こちら

ヒマラヤ地震 救援・救助活動 報告  こちら

  


Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 03:51Comments(0)ネパール大地震