2015年06月06日
ヒマラヤ地震 ランタン渓谷 ティムレ村とチベット国境
◆ネパール地震ボランティア募集 こちら
短期間でも大丈夫ですので、多くの方に来ていただきたいです!
ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。
チベット国境にほど近い集落、ティムレ村の調査へ
中国政府主導で整備されてきた道路を歩くこと2時間弱、警察や軍隊の駐屯地があるティムレ村へ夕方5時過ぎに到着した。
日々、標高が2000mを超える地域を歩いていたため、この高度になると汗が噴き出してくる。
時より風が抜けると涼しく感じるが再び額から汗が流れる。

タマン族の文化を体験するトレッカーの宿が多い。

伝統的な家の倒壊が多く見られる
中国政府が作ってくれた道路の脇を流れるボテコシ川に、同じく中国政府によって建設されているダムがある。
地震によってすべての中国人がチベット側に戻ってしまい、街は閑散としていた。
同時に、チベット難民もこの村に避難してきていた。

どこの家もそうだが、青空キッチン
翌朝、更に遡りチベット国境に向かってみた。
この村の先の軍隊チェックポストを通過し、国境の村ラスワガティを目ざす。


被害の大きかったガテコラー村の遥か上に、ランタンⅡ峰が輝いていた
ガテコラー村はチベット難民の村で、人的被害が出てしまった。
民家の倒壊がひどく、生存者はティムレ村へ全員避難

崖にへばりつくように家があったのだが・・・

チベット国境が見えてきた。
しっかりとした作りの国境税関の建物だが・・・
ところどころにひび割れが入っているのが見えた。
橋の真ん中に赤い線があり、チベットとネパールの国境である。
兵隊の姿も見えないので、とりあえず行けるところまで行ってみた。

橋のたもとには・・・
ラスワガティーの村があったのだが、土砂崩れで村ごと消えてしまった。
すでに、中国軍により土砂が取り除かれ、更地状態に。
※ 人的被害が多数出たのだが、生存者曰く、土砂と一緒に取り除かれ、そのまま川の中へ流されてしまったとのこと。

お世話になったティムレ村の人達と一緒に。
色々と情報を教えてくれた3姉妹がいた。
彼女らの両親はヤク(高地牛)を放牧しにでかけ、地震にあってしまったとのこと。
土砂崩れで元の道を戻ることができず、他の人と合わせて未だ15名取り残されているとのことだった。
政府の方にもお願いしても、被災者の救助が多すぎて、対応しきれないとのことで、私達にお願いしたとのこと。
※ 私の方よりネパール軍隊に情報を流し、救援してもらうことになった。

別の団体が支援物資を届けていた。
ティムレ村から車があるという情報が流れ、この村に留まることに。
再び山岳地域に入ります。今回も政府関係の支援に同行し、ゴルカ郡の被災した村へ。
情報によると1400軒を超す民家すべてが倒壊し、7000人以上の被災者が出てしまったとこのこと。
ランタン渓谷を調査している間に、私もこの地域への支援に入るよう要請があったため、出かけてきます。
数日間ですがカトマンズを離れるため、情報を流すことができません。
ヒマラヤトレッキング、登山専門店 サパナ
短期間でも大丈夫ですので、多くの方に来ていただきたいです!
ヒマラヤ山岳民族支援基金 賛同者 こちら
ヒマラヤ専門ガイドの浅原です。
チベット国境にほど近い集落、ティムレ村の調査へ
中国政府主導で整備されてきた道路を歩くこと2時間弱、警察や軍隊の駐屯地があるティムレ村へ夕方5時過ぎに到着した。
日々、標高が2000mを超える地域を歩いていたため、この高度になると汗が噴き出してくる。
時より風が抜けると涼しく感じるが再び額から汗が流れる。
タマン族の文化を体験するトレッカーの宿が多い。
伝統的な家の倒壊が多く見られる
中国政府が作ってくれた道路の脇を流れるボテコシ川に、同じく中国政府によって建設されているダムがある。
地震によってすべての中国人がチベット側に戻ってしまい、街は閑散としていた。
同時に、チベット難民もこの村に避難してきていた。
どこの家もそうだが、青空キッチン
翌朝、更に遡りチベット国境に向かってみた。
この村の先の軍隊チェックポストを通過し、国境の村ラスワガティを目ざす。
被害の大きかったガテコラー村の遥か上に、ランタンⅡ峰が輝いていた
ガテコラー村はチベット難民の村で、人的被害が出てしまった。
民家の倒壊がひどく、生存者はティムレ村へ全員避難
崖にへばりつくように家があったのだが・・・
チベット国境が見えてきた。
しっかりとした作りの国境税関の建物だが・・・
ところどころにひび割れが入っているのが見えた。
橋の真ん中に赤い線があり、チベットとネパールの国境である。
兵隊の姿も見えないので、とりあえず行けるところまで行ってみた。
橋のたもとには・・・
ラスワガティーの村があったのだが、土砂崩れで村ごと消えてしまった。
すでに、中国軍により土砂が取り除かれ、更地状態に。
※ 人的被害が多数出たのだが、生存者曰く、土砂と一緒に取り除かれ、そのまま川の中へ流されてしまったとのこと。
お世話になったティムレ村の人達と一緒に。
色々と情報を教えてくれた3姉妹がいた。
彼女らの両親はヤク(高地牛)を放牧しにでかけ、地震にあってしまったとのこと。
土砂崩れで元の道を戻ることができず、他の人と合わせて未だ15名取り残されているとのことだった。
政府の方にもお願いしても、被災者の救助が多すぎて、対応しきれないとのことで、私達にお願いしたとのこと。
※ 私の方よりネパール軍隊に情報を流し、救援してもらうことになった。
別の団体が支援物資を届けていた。
ティムレ村から車があるという情報が流れ、この村に留まることに。
再び山岳地域に入ります。今回も政府関係の支援に同行し、ゴルカ郡の被災した村へ。
情報によると1400軒を超す民家すべてが倒壊し、7000人以上の被災者が出てしまったとこのこと。
ランタン渓谷を調査している間に、私もこの地域への支援に入るよう要請があったため、出かけてきます。
数日間ですがカトマンズを離れるため、情報を流すことができません。
ヒマラヤトレッキング、登山専門店 サパナ
Posted by ヒマラヤ専門ガイド 浅原 明男 at 01:23│Comments(0)
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